ayateck Local Stories

山形県酒田市の地域おこし協力隊・阿部彩人が、ローカルにある面白いものを、過去から現在そして未来へと続くストーリーを紐解きながらお届けするブログ。

地方の農村部にある家の呼び名、「屋号」や「通称」の謎に迫る!〜山形県酒田市・漆曽根1区編〜(例:そんざぶろ、そんざぶろいもぢ、あだしゃ、いんきょさま等)

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山形県酒田市の地域おこし協力隊、阿部彩人(@ayateck)です。

突然ですが、皆さんの家に呼び名はありますか?

江戸時代から続く昔ながらの農村地区には、家の呼び名があります。

山形県酒田市にある私の実家の呼び名は「そんざぶろいもぢ」。実家の本家の呼び名は「そんざぶろ」(初代が惣三郎さん)で、そこから分家して「家持ち」になったため「いもぢ」が付いて、「そんざぶろいもぢ」と呼ばれているとのこと。

私自身、高校卒業まで酒田で生活していた際には、家にそのような呼び名があることについて特に疑問も感じずに生きてまいりました。ですが、東京に出てきてみると、首都圏では家に呼び名があるということ自体がレアであることに気づきました。

なぜ、田舎の農村地区の家には、呼び名が必要だったのでしょうか。この呼び名の謎に迫るため、私の実家がある酒田市・漆曽根1区での例をもとに調べてみました。

漆曽根の成り立ち

まず、漆曽根という集落の成り立ちについて。漆曽根は北平田地区にある集落で、「酒田市合併村史 第三巻 東平田村 中平田村 北平田村」(平成13年・酒田市発行)によると、成り立ちは以下の通り。

弘安年間(1278〜88)曽根某なる郷士が、興野を開拓して広く漆の木を植えたことから、漆曽根という集落が出来たと伝えられている。

つまり、曽根さんという武士が荒れ地を開拓して広く漆の木を植えたことが、「漆曽根」と呼ばれる集落の成り立ちとのこと。弘安年間というと鎌倉時代。実に700年以上の歴史が漆曽根にはあることになります。漆曽根は南北に広く、約150世帯がある集落で、1区から5区までに分かれています。

なぜ、家の呼び名が必要だったのか?

江戸時代の農民にも非公式に苗字はありましたが、正式に名乗ることは禁じられておりました。また、農村部では同じ苗字の家が多かったこともあり、「◯◯さんの家」と呼ぶ際に、家の呼び名を使う習慣が定着していったと考えられます。

歴史が比較的古い家には、初代当主の下の名前を由来とした呼び名(例:「惣三郎」がなまった「そんざぶろ」)があります。この場合の呼び名を「屋号」といいます。漆曽根1区の場合、江戸時代中期(1700年〜1780年前後ごろ)までに建てられた家には「屋号」がある傾向があります。

江戸時代後期以降に建てられた家や分家に関しては、「通称」で呼ばれることや、呼び名自体が無いということもあります。

家の呼び名のパターン

家の呼び名を、由来別のパターンで大まかに分けると、以下の4パターンがあります。例は、今回調べてみた漆曽根1区の家の呼び名です。

①初代当主の名前が由来の場合(屋号)
例:「そんざぶろ」=初代当主の名前が「惣三郎(そうざぶろう)」
例:「じんぜん」=初代当主の名前が「甚左ェ門(じんざえもん)」
例:「よんだい」=初代当主の名前が「要太(ようた)」

②分家の場合(通称)
例:「そんざぶろいもぢ」=本家「そんざぶろ」の分家

③比較的新しい家の場合(通称)
例:「あだしゃ」=「新し家(あたらしや)」がなまった

④その他の場合(通称)
例:「いんきょさま」=初代がお寺から隠居された方
例:「ほりぎり」=「堀切」隣の区との境にある家

この中で、正式に「屋号」とされるものは、初代当主の名前が由来の①のみで、②〜④まではいわゆる「通称」になります。

それでは、それぞれのパターンを詳しく見ていきます。

①初代当主の名前が由来の場合

例:「そんざぶろ」=初代当主の名前が「惣三郎(そうざぶろう)」
例:「じんぜん」=初代当主の名前が「甚左ェ門(じんざえもん)」
例:「よんだい」=初代当主の名前が「要太(ようた)」

これが、「屋号」の由来として一番ポピュラーな形。初代当主の名前がなまって「屋号」になっているパターンです。

私の実家の本家である「そんざぶろ」の現・当主である阿部 優(ゆたか)さん(67歳)にお話を伺い、「そんざぶろ」のルーツについて探ってみました。優さんは婿入りをした方で、生まれは東平田地区の生石にある大平(そば屋の「大松家」がある集落)とのこと。優さんの奥さん・千恵子さんが、「そんざぶろ」の血を引いていることになります。

余談ですが、千恵子さんは、私が企画・出演しております、庄内弁ドラマ「んめちゃ!」第2話で漆曽根ままくらぶの1人として出演されています(薄紫色のシャツの女性)。そしてそのシーンのロケ地は漆曽根1区の公会堂です。


【庄内弁ドラマ】んめちゃ! 第2話「おら、酒田でアクションすっぞ!」(ロケ地:山形県酒田市など)

優さんのお話によると、以下の通り。

「そんざぶろ」の初代である阿部惣三郎さんは、今から300〜400年ほど前、江戸時代の1600年代後半から1700年代前半ごろの生まれではないかとのこと。惣三郎さんの生家は元々、漆曽根2区の「阿部建築」の場所にあり、農家でした。

千恵子さんの祖父・常太さん(明治29年前後の生まれ?)は次男で、分家して漆曽根1区の現在の位置に家を建てます。本来であれば、2区の「阿部建築」の場所にあった「そんざぶろ」が本家本元。1区の「そんざぶろ」(現在の優さんの家)は分家で、「つねた・そんざぶろ」と呼ばれており、常太さんが初代。ちなみに、常太さんは私・彩人の祖父である阿部幸吉の父親(つまり、彩人の曽祖父)になります。

▼「つねた・そんざぶろ」初代の阿部常太さん

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常太さんの兄(長男)は、明治時代の終わりごろに田畑を全部取られて、横浜の方に移住して行ったとの話。2代目は、常太さんの長男・運吉さん(幸吉の兄)。運吉さんは大正8年(1919年)の生まれで、第二次世界大戦終戦後はシベリア抑留から昭和24〜25年ごろに酒田へ帰ってきて、新井田川の護岸工事の人夫や、「阿部建設」の専務などの仕事をしていたとのこと。2代目・運吉さんのご子息の千恵子さんは一人っ子で、優さんが婿入りする形で3代目となっています。

優さんのお話を元に邪推すると、本家本元の「そんざぶろ」は漆曽根2区にあったのですが、その家を継いでいた常太さんの兄(長男)が横浜の方に移ったため、分家で「つねた・そんざぶろ」と呼ばれていた次男・常太さんの家が、結果的に本家の「そんざぶろ」として、現在も呼ばれているのではないかと考えられます。

ちなみに、優さんはロバート・デ・ニーロに似た男前な方なのですが、写真は苦手なのでNGとのことでして、残念ながら近影は非公開になります。

初代当主の名前が「屋号」になったその他の例を見ると、「甚左ェ門(じんざえもん)」から「じんぜん」になった形のように、なまって短縮系になっているのも良く見られる形です。「〜ざえもん」は「ぜん」に、「〜えもん」は「えん」になる傾向があります。最後に「ん」が付く屋号の家は、歴史の古い家だという話もあります。

初代当主の「要太(ようた)」から「よんだい」という屋号になった例に関しては、「ようた」から「よんだい」までの飛躍っぷりが気になる人もいるかもしれませんが、寒いので口をあまり開かないという東北地方の方言の様式に沿った形かと思います。「ようた」と口を大きく開かずに10回ぐらい言ってみてください。だんだん「よんだい」に近づいていくはずです。

②分家の場合

例:「そんざぶろいもぢ」=本家「そんざぶろ」の分家

分家の場合、正式な屋号ではないのですが、分家を意味する「いもぢ」(「家持ち」がなまった)が付きます。私の実家は、本家「そんざぶろ」の分家ということで、「そんざぶろいもぢ」と呼ばれています。

私の祖父である阿部幸吉は、漆曽根1区の「そんざぶろ」にて阿部常太さんの息子として生まれました。幸吉の兄・運吉さんが「そんざぶろ」の当主として跡を継いだため、幸吉は漆曽根の一番北に分家を建てて「そんざぶろいもぢ」の初代となったとのこと。私の父である阿部幸秀が2代目、私・阿部彩人が3代目になります。

▼「そんざぶろいもぢ」初代・阿部幸吉(大正12年・1923年生まれ)

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▼「そんざぶろいもぢ」2代目・阿部幸秀(昭和28年・1953年生まれ)

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▼「そんざぶろいもぢ」3代目・阿部彩人(昭和55年・1980年生まれ)

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③比較的新しい家の場合

例:「あだしゃ」=「新し家(あたらしや)」がなまった

江戸後期以降に建てられた比較的新しい家の場合、初代の名前ではなく、周辺住民から呼ばれていた通称が根付いている場合もあるようです。その例が、「新し家(あたらしや)」がなまった、「あだしゃ」。

「あだしゃ」現・当主の池田定芳さん(78歳、昭和14年・1939年生まれ)に、お話を伺いました。

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定芳さんのお話によると、定芳さんは5代目にあたり、初代は池田多平治さん(江戸後期の天保元年・1831年の生まれ)。当時、多平治さんが分家として新しい家を建てたということで、屋号ではなく通称として周辺住民から「新し家(あたらしや)」と呼ばれるようになったとのこと。それがなまって、「あだしゃ」という呼び名になったのです。

「新し家(あたらしや)」というぐらいなので、明治以降に建った家なのかなと私は思っていたのですが、想像以上に歴史が古く、江戸後期から現代までずっと「新し家(あたらしや)」⇒「あだしゃ」と呼ばれているのが興味深いですね。①のように初代の方のお名前が屋号になっている家は、もっと歴史のある古い家だということがわかります。

また、定芳さんがお持ちだった資料「あなたの家紋と家号」(北平田郷土史研究会)をお借りしました。北平田地区の全集落にある家の家紋と屋号をまとめた資料。これも非常に貴重な資料です。

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これを見ると、①の初代のお名前が「屋号」になっている家のみが、屋号として記載されています。それ以外の空欄の家(②〜④に当てはまる場合)は、すべて「通称」という扱いになるとのこと。「そんざぶろいもぢ」も「あだしゃ」も「通称」になります。

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④その他の場合

例:「いんきょさま」=初代がお寺から隠居された方
例:「ほりぎり」=「堀切」隣の区との境にある家

「いんきょさま」は、私の実家のお隣にある家。4代目にあたる石川卓司さん(50歳)と、3代目の石川俊悦さん(82歳)・房子さんご夫妻にお話を伺いました。

お話によると、3代目・俊悦さんの祖父が、漆曽根3区にある明照寺の42世当主・天隋さん(慶応2年・1866年生まれ)。私腹を肥やさず、お寺に大層貢献したので尊敬されていたとのこと。天隋さんにはお子さんが一人娘しかおらず、それが石川貞子さん(明治44年・1911年生まれ)。貞子さんは狩川出身の原田さんを婿に迎え結婚したのですが、そのお婿さんが急性盲腸炎ですぐに亡くなってしまいます。

その後、天隋さんは跡取りがいないということで、隠居して分家を作ります。それが「隠居様」と呼ばれる現・石川家の初代の始まりとのこと。貞子さんは、佐藤大吉さんという方の弟・元二さん(明治42年生まれ)を婿として2度目の結婚をし、その石川家の2代目となります。

「隠居様」と「様」付けで呼ばれることに関しては、石川家の皆さんは「様」なんて付けなくて「隠居」でいいのに、と思っているそうです。ですが、初代の天隋さんが明照寺の当主だった時代に、お寺に対して私財をすべて投げ打って貢献したということもあり、地区の方々から非常に尊敬されていたため「様」付けで呼ばれていたのでしょう。

▼4代目にあたる石川卓司さん(50歳)・留理さんご夫妻(上・左)と、3代目の石川俊悦さん(82歳)・房子さんご夫妻(下・右)

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また、区の境にある家が、堀を切るという意味合いで「ほりぎり」=「堀切」という通称で呼ばれているという例も。この「堀切」という呼び名は、他の地区でも見られるという話もあります。

農村部における家の呼び名の今後

私の実家は分家であるため正式な「屋号」ではなく、「そんざぶろいもち」は、あくまで「通称」になります。初代当主の名前が「屋号」になっている古い歴史のある家に対しては、憧れのようなものもありました。

今回、漆曽根1区の家の呼び名について調べたりお話を伺う中で、江戸時代から受け継がれてきた「屋号」や「通称」は、家の歴史やストーリーが詰まった財産であると改めて気付かされました。特に、私の実家の本家である「そんざぶろ」の歴史については、お話を伺ったことで(私の両親も含めて)初めて知ったことが多く、そして予想以上に歴史が長く入り組んだストーリーがあることがわかりました。あと、単純に自分の家のルーツを知るって面白い!と思いました。

「新しい家」という意味の由来から「あだしゃ」の家は歴史が浅いと思い込んでいましたが、初代が江戸時代後期ということで、思いのほか長い歴史を持っているということも意外な事実でした。

また、このような家の呼び名については、その家自身で自ら生んだものではなく、周りに住んでいる人たちが呼ぶことによって自然と定着していったということも注目すべきポイントです。それは、集落内でのコミュニケーションが密でないと、家の呼び名は生まれ得ないからです。

現に都市部では、隣に住む人の名前すら知らないことは多々あります。それに対して、少なくとも漆曽根1区に関しては、すべての家の世帯主の名前を知っています。それは、素晴らしいことです。この住民同士の関係性の中で漆曽根1区の人たちはこれからも暮らしていくでしょうし、それが今後も途絶えないことを私は望んでいます。

漆曽根以外の他の農村地区に関しても、家の呼び名を調べることによって見えてくる家の歴史、地区の歴史があるはずです。それを紐解きながら、その地区のストーリーを深く知っていき、ひいては、過去の歴史の上に現在があって未来へと続いていく日本の行く末を考えていくことにつなげていきたいと考えております。

今後も、そのようなローカルに根ざしたストーリーの数々をこのブログで紹介していきますので、お楽しみに。

せば、まず(では、また)。

酒田まつり本祭り。旧・酒田商グランドの駐車場で泥沼にハマる。鶴岡・三瀬の孟宗祭りに参加。酒田hopeで「DO IT」の無料プレ・イベント。

どうも、もっけです。山形県酒田市の地域おこし協力隊、阿部彩人(@ayateck)です。

本日は酒田まつり本祭り。昨日の雨模様からうって変わって、快晴となりました。

今朝の鳥海山もこの通り、くっきり綺麗。絶好の祭り日和ですの〜。

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酒田まつり本祭りへ向かいました。駐車場の旧・酒田商業グランドに空きがあるようでしたため、ここに駐めることに。

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しかし、それが泥沼の始まりとなるなんて、この時の私には知る由もありませんでした・・・。昨日の雨で地面は泥田のような状態になっており、泥さ「ぬがる」(泥にハマる)車が続出。

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こいだば大変だの〜(これは大変だね〜)と、他人事のように見ていたら。

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私の車も例に漏れず、泥さ「ぬがって」動けない状態に。

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結局3回ほど、泥さ「ぬがり」まして、その場にいた方々に押して助けていただきました。泥が飛んで服が汚れてしまった人もいらっしゃいまして、大変もっけでした・・・。

駐車場内の乾いたところに駐め直してこれからようやく祭りへ。まさか、昨日の三瀬孟宗祭り準備で大活躍だった長靴を、こんな快晴の日にまた履くことになるとは・・・。

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本日も清水屋前には、高さ22.36mの立て山鉾が。子供山車巡行が続いております。

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清水屋に入ると、いつもには考えられないほどの人たちが店内にいて大盛況。

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ちなみに庄内地方には、エスカレーターの片側を空けるという文化はございません。急がなくても良いからです。そもそも、エスカレーターは階段のように登り降りする乗り物ではないので、これは、エスカレーターの正しい乗り方です。

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そして、旧鎧屋前にて行われる式台の儀へ。

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獅子舞など。

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そして、鶴岡・三瀬の八森山で開催の孟宗祭りが14時までのため、急いで車で向かうことに。で、駐車場に戻ると、やはり泥にハマって動けない車がまだまだ続出中。

▼ちなみに、この車を押している人たちに近づいてみたら、なんと小学校時代の同級生の女性(※注:僕の初恋の人)とご家族の車でした。なんという再会!!

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で、僕もこの車を押すのを手伝ったり、他の四駆の車に牽引されたりしていたのですが、なかなか動かない状態。三瀬の孟宗祭りに間に合わなくなるため、心苦しい気持ちもありましたが「先に行がねばね、ごめんの〜!」と言って、まずは自分の車で駐車場を脱出することに。1回、泥にハマって動けなくなりましたが、そこにいたおじさんや男性の方が押してくださいまして、何とか泥沼の駐車場を脱出。

ちょうど、日向地区の地域おこし協力隊・庄司和樹くんがこの駐車場に入ろうとしていたため、入らないように全力で阻止しました。

高速を使って鶴岡の三瀬へ向かいまして、何とか孟宗祭りに間に合いまして。

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▼会場は、三瀬にある八森山のレクレーション場。終了間際でしたが、こんなに人がたくさんいらっしゃいまして大盛況。本日は述べ800人ほどいらっしゃったそうです。

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▼そして、孟宗汁をいただきました。三瀬の孟宗汁の具は、孟宗と椎茸と厚揚げ。んめけ〜!!

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▼帰りに三瀬の海岸にも寄りまして。西海岸。

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すぐそこには、琴平荘もあります。

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▼酒田に帰る際に見えた、由良のあたりの風景。

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▼そして、酒田まつりへカムバック。

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▼酒田北前太鼓と立て山鉾。

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獅子頭4体の巡行も。

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獅子頭と立て山鉾。

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▼立て山鉾単体。

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▼夜は立て山鉾に点灯。

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▼そして酒田hopeで開催の、DO ITの無料プレイベント「ROAD TO DO IT」へ。

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STAND ALONEのライブ。

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マルチ放電のライブ。

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this isのライブ。

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庄内の地元勢バンドだけのイベントでも、お客さんがしっかりと入っているし、ライブも凄く良くて、やっぱり酒田の音楽シーンって、いいなあと思います。

来週5/27(日)も無料イベント「ROAD TO DO IT」で、FRIDAYZとDOLIPULEの2マン。来週も楽しみですの〜。

▼イベントが終わると、立て山鉾の灯りも消えていました。祭りのあと。

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▼そして、家に帰って、麓井の辛口酒を呑んでおります。

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明日からまた頑張りましょう。

せば、まず。

【協力隊日記】酒田市 松山地域・南部コミセン、「DO IT 2018」会場準備、鶴岡市・三瀬孟宗祭り準備、酒田まつり宵祭り

どうも、もっけです。山形県酒田市の地域おこし協力隊、阿部彩人(@ayateck)です。

5月18日は酒田市の八幡地域・松山地域・平田地域の地域おこし協力隊が集まって、松山地域の南部コミュニティセンター(旧・地見興屋小学校)で打ち合わせ。

▼旧・地見興屋小学校が2017年2月に閉校となり、南部にコミュニティセンターになりました。建物が神殿のように立派ででかい!!

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▼閉校の時に、小学生の皆さんにより書かれたもの。

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▼南部コミュニティセンター内の一角が、今後正式にオープンされる喫茶コーナーになっております。

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▼その喫茶コーナーを企画する、松山地域の地域おこし協力隊・小久保優さん。

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▼小久保さんのキーコーヒーの修了証書と、食品衛生責任者証。

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▼こちらが小久保さんによる珈琲と、スフレパンケーキ。

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▼5月の月間予定表。

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酒田市の地域おこし協力隊5人組。今後に向けた打ち合わせをいたしました。

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その後、5人で松山にある中華そば「四十番」へ。

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▼チャーシューメン。

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▼中太縮れ麺。スープはトビウオの出しの醤油味。んめけ〜〜〜〜〜〜!!!!!

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小久保さん曰く、味噌味もオススメとのことです。

そして夜は、2018/6/9(土)に開催の「DO IT 2018」会場である酒田市大浜・グリーンシステム内の倉庫へ。

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初めて会場での準備に参加させていただきました。酒田hopeでお会いしてる人たちも多く、以前から参加しているかのごとく「お疲れさまで〜す」と皆さん普通に受け入れてくれたのが嬉しかったです。

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▼この日は20時にタイムテーブルとFOOD&STOREが情報解禁。解禁の瞬間の、主催・佐藤優人くん。

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▼発表されたタイムテーブルがこちら。主催の皆さんが練りに練って考え抜かれたことが感じられる、素晴らしい流れ。LOSTAGEからFRIDAYZがトリで登場というのも。

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▼会場エリアマップとFOOD&STORE。

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▼タイムテーブル発表直後の、主催・酒井健太くん(FRIDAYZ、酒田hope代表)と佐藤優人くん。

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▼みんなで作っているのは、廃材を利用した巨大オブジェのDO IT 太郎(仮)。

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どんなオブジェが完成するのか。楽しみですの〜。極上に狂おしく美しいフェスになりそうな薫りしかしません。まだまだ力になりきれていないですが、少しでも「DO IT」を作っていく力になれるよう頑張ります。

▼2018/6/9(土)「DO IT 2018」の出演アーティスト・チケット情報はこちらから。

doit-yamagata.jp

そして5月19日は、朝から鶴岡市・三瀬地区にて、5月20日に開催される「三瀬八森山孟宗まつり」の準備手伝いへ。八幡・大沢地区のお隣である日向地区は、三瀬地区との交流があり、「日向応援隊」が三瀬孟宗まつりの手伝いに来ており、冬は日向地区に三瀬地区から除雪のお手伝いが行われるそうです。今回、日向地区の工藤さんにお誘いいただきまして、参加することになりました。

▼三瀬コミュニティセンター。

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▼会場で使用するビールケースの運搬など。

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山形大学農学部や、東北公益文科大学の学生さんたちも手伝いに来ておりました。

▼軽トラックの荷台に乗る学生さんたち。

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運搬が終わった後は、竹を利用した、お酒のおちょこ作り。

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▼竹を加工して作ります。切っているところ。

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▼切った竹の口の内側を彫刻刀で削った後に、面取り。

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▼最後に洗って完成です。

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▼この日に収穫された三瀬の孟宗。美味そうです。

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▼孟宗汁も順調に作られておりました。

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三瀬の人たちは、老若男女、若い世代も集まっていて、いい地区だなあと思いました。

終わった後は、酒田まつり宵祭りへ。

酒田産業会館前に登場した、高さ22.36mの立て山鉾。

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▼山鉾を押したり引いたりしながら進みます。

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日和山公園への続く道は、屋台が連なっています。

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▼清水屋前にて。立て山鉾と、黒森歌舞伎の皆さん。

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獅子頭2体のパックンコーナー。

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▼庄内おばこ華の会による、花笠音頭など。

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酒田市・丸山至市長による挨拶。

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▼そして、立て山鉾に点灯。

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▼余目の庄内飛龍會による、飛龍のパフォーマンス。と、山鉾。

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▼酒田舞妓による舞。

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▼酒田のYOSAKOIチーム「夢湊烈風」によるパフォーマンス。

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最後は三本締めにて終了。

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今年は初めて、立て山鉾の巡行を清水屋前にて行えることになったそうで、雨模様の寒い中ではありましたが、盛り上がりました。

酒田まつり、高校以来20年ぶりに来ましたが、20年前よりも相当、進化してました。やはり、祭りはいいですの。本日の本祭りもこれから行ってきます。

せば、まず。

【協力隊日記】酒田市「サンロク」でセミナー、大沢地域づくり推進モデル事業の事務局会、酒田にあった幻の修験道の話、酒田モシエノ大学で講師・船山裕紀さん。

先日5月16日は、酒田産業会館1Fにプレオープン中の「コワーキングスペース サンロク」で開催の無料セミナー「植物工場・野菜工場って何だろう ~最新動向について~」に行ってきました。

酒田産業会館には、今週末に開催される酒田まつりの提灯がたくさん。

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コワーキングスペース サンロクの外観。

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▼5月31日まではプレオープンで平日9:00〜18:00、6月1日〜30日はグランドオープンで平日・土日9:00〜21:00で、6月いっぱいまでは無料で利用できるようです。

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コワーキングスペースはこんな感じ。

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セミナーの方は、無料ということもあり参加者がたくさん。

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講師は野菜工場の施工実績が豊富な富士電機株式会社の方々。初期費用が億単位でかかったり、用地に最低でも1ha必要だったりと、導入にはハードルが高そうではありますが、最新鋭のテクノロジーで1年中安定した収量が得られたり、スタッフにしっかり週休2日制を導入できたりと、農業の新しい形を提示する事例がたくさんありました。

その後、大沢コミュニティセンターに戻って、地域づくり推進モデル事業の事務局会。

事務局会の前に事前打ち合わせ。

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大沢地区は、国の地方創生モデル地区に選ばれており、地域住民・行政の皆さんと一緒に地域づくり推進モデル事業として昨年より住民の方々との5回にわたるワークショップを行い、大沢地区の未来をどう作っていくのかを住民・行政が一緒になって考えながら進めております。

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今回の会議から私も参加しています。会議の中で、今が「生みの苦しみ」というお話も出ましたが、大沢の住民の皆さんが、生き生きと「わぐわぐ」しながら暮らしていくような地域づくりを、これから形にしていきたいと思います。

その会議の中で、大沢の地域資源として「注連石権現」(すみいしごんげん)という修験道の場所が話に出ました。大沢地区の住民の皆さんもその存在について良く知らないとのこと。

調べてみたところ、1986年の「広報やわた」に掲載されていました。

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【追記】注連石(すみいし)について | 山形の山 裏通りON-LINE
http://inage.raindrop.jp/wbs/?p=458

上記ページによると、酒田市教育委員会文化課の話として、次のような回答を頂きましたとのこと。

・注連石は、「注連石権現」として祀られているとのこと。《権現》と はすなわちカミ・ホトケの別なく祀るという意味であり、したがって明治の神仏分離よりずっと前よりあったことは推測されるが、しかし、言い伝えの文書 なども確認できず、詳しい謂れは分からない。

・この場は山伏の修験場だったとのことで、およそ次のルートで修行した。
【注連石権現で修験 → 新山権現、相沢大権現で修験(旧平田町地域にあり) →鷹尾山】
ほかにも鷹尾山に至る経由ルートがあったと推測される。

「鷹尾山」というのは、酒田市の東平田地区にある山。今は頂上のあたりがゴルフ場になっている。もう1ページ、興味深いサイトがあったのでこちらもご紹介。

2015.5.4 注連石と鬼のカケハシ(山形・弁慶山地)
http:// http://blog.livedoor.jp/yamasone/archives/1026703617.html

この山域一帯は過去に山伏の修験場であり、そのルートは注連石権現で修験の後、新山権現(場所不明であるが回峰順路としては弁慶山周辺か?)と相沢大権現で修験(ここは経ヶ蔵山のように感じる。)、その後鷹尾山で回峰を終えた。
現在、酒田CCゴルフ場になっている鷹尾山には三百坊谷地と言う湿地も現存している。
また『川南の羽黒』に対して『川北の鷹尾』と言う言葉があり、庄内地方に一大宗教勢力を誇った鷹尾山宝蔵寺は、新たに当地を治めた上杉景勝によって全て没収されたと言われている。 

現在は、鶴岡の出羽三山修験道としては有名ですが、その昔は、酒田にも鷹尾山を中心とした修験道があり、『川南の羽黒』に対して『川北の鷹尾』と言われていたとのこと。しかし、当地を治めた上杉景勝に追放されてしまい、山伏はすべて離散してしまったようです。

庄内の修験道 ~鷹尾修験~ | 山形の山 裏通りON-LINE
http://inage.raindrop.jp/wbs/?page_id=502

上記のサイトによると、以下のような興味深い記述も。

鷹尾山信仰についての初出は進藤重記の「出羽風土略記(宝暦十二年(1762))」。それによると、鷹尾山の衆徒は山麓に点在する富裕な農民で、無境で無年貢という理想郷のような惣容入会地で山間、山麓の村々が中心になって利用し、鷹尾山を山の神として信仰する修験者と称していたらしい。彼等は豊臣秀吉が行った太閤検地、刀狩り、なで切り令に反対し検地反対一揆を起こしたため、当時の領主である天地人で話題になった上杉景勝の仕置軍に追放されることとなった。

また。「酒田の伝説と伝承」(田村寛三著)によれば、敗走した衆徒の一部は真室川に隣接する青沢に逃れて「相蘇」の姓を名乗ったとのこと。「相」は再び、「蘇」は蘇るという意味で、「いつの日かまた山伏となり修験道を再興しよう」との夢を姓に託したのだそうだ。

上杉景勝から追放された、鷹尾山で修行していた衆徒の一部は、なんと、大沢地区の青沢に逃れて「相蘇」の姓を名乗ったとのこと。確かに、「相蘇」という姓の人が多いのです。

この鷹尾山を中心とした修験道の歴史については、改めて私の方で調べてブログにまとめたいと考えております。

昨日5月17日は、酒田モシエノ大学@酒田MUSIC FACTORYへ。講師は、山形県長井市在住の船山裕紀さん。

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▼これまでの講師の方々がパネルで展示されていました。

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▼今回の講師の船山さんのプロフィール。

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船山さんは、山形出身の仲間とバンド「SHIFT」を結成して年間100本というライブを行ったり、アメリカツアーを敢行したり。山形の映画館・シネマ旭の跡地を会場に2日間で2600人を集め伝説となった「DO IT 2008」を主催。2011年から長井市で「ぼくらの文楽」を実行委員長として開催し、現在は船山さんは主催から離れて長井市の西根地区公民館主催のイベントになっています。そして、「子供が生まれたことでなりたくなった」夢を叶え、昨年からおもちゃ屋Kimiを開店しております。

▼「DO IT 2008」のホームページの画像など。

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▼「DO IT 2008」の会場となっていた、山形の映画館・シネマ旭跡の写真とステージ図面図。映画館の椅子を全部スタッフが人力で外してステージを設営したとのこと。

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船山さんは私と同い年。私自身、東京に住みながら酒田で「もっけだフェスティバル」を主催していた時に船山さんにメールで「DO IT」のお話を伺ったり、宇都宮までSHIFTのライブを観に行ったり、2012年の「ぼくらの文楽」にボランティアスタッフとして関わったりする中で、船山さんの活動にはいつも衝撃を受けながら羨望しておりました。

▼今回のモシエノ大学での質疑応答の様子。お客さんの数も多く大盛況でした。

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船山さんのお話で心に残ったのは、「結果として楽しいことしかやっていない」「人に求められることしかしない」ということ。また、船山さんは「ぼくらの文楽」の2年目に発表した「10年計画書」で、10年でやめるということを先に言っています。「周りの人を巻き込む上で心がけることは、先に『やめる』と言うことが大事」だということも。「自分の頭だけで考えずに、みんなの頭で考える」ということも仰っていました。

▼ちなみに、私は1型糖尿病なのでインシュリンを打っているのですが、このインシュリンのケースに貼ってある黄色いステッカーは、2009年に宇都宮HEAVEN'S ROCKで開催されたSHIFTのライブを観に行った時に買ったものです。

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酒田モシエノ大学、非常に得るものの多い回でした。終了後には、船山さんが持ってきたボードゲームで盛り上がりました。

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これまで東京に住んでいた時には、酒田モシエノ大学には参加したくてもなかなか参加できなかったのですが、これからはいつでも参加できるということがめちゃくちゃ嬉しいです。

▼ちなみに、次回6月21日(木)のモシエノ大学の講師は、合同会社とびしま副代表・松本友哉さん。「島で暮らし、島で生きる。若者が変える飛島の暮らし。」だそうです。こちらも楽しみですの。

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せば、まず。

 

【協力隊日記】酒田市 大沢地区・遠田清之さんの田植えに密着。平野部とちょっと違う、中山間地域の田んぼが興味深い。

どうも、もっけです。山形県酒田市の地域おこし協力隊、阿部彩人(@ayateck)です。

私の実家がある漆曽根は庄内平野の平野部に位置しておりまして、実家あたりから見える鳥海山と田園の風景はこんな感じ。(写真:父・阿部幸秀)

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山形県庄内地方と言えば、このように庄内平野のだだっ広い田園風景の印象が強いですが、私が地域おこし協力隊として拠点にしている八幡地域の大沢地区は、中山間地域になります。

その大沢地区に在住の遠田清之さん(大沢コミュニティ振興会 事務局長)の田植え作業に密着させていただきました。

今回田植えをする田んぼは、大沢の「南ノ前田」という地区にあります。

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▼こちらが今回田植えをする田んぼ。

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▼田植え作業をする遠田清之さん。

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▼清之さんのお父様・金市さん(80歳)も協力しての田植え作業。

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▼この田んぼに植えているのは、山形のお米「つや姫」。

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遠田さんが所有する田んぼは15枚で、こちらはそのうちの一つ。

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▼たんぽぽと田園風景。

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▼田植え作業は進みます。

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田んぼの裏には、綺麗な水が流れる沢が。

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遠田さん曰く、「姥ヶ沢」という名前ではないかとのこと。

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▼元気に作業をする、お父様の金市さん。

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▼今回、田植えをしている田んぼの隣の田には、清之さんのお母様も。田植え機で植えられない隙間の部分に手作業で稲を植えていらっしゃいました。

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▼田んぼの一番外側を1列空けて、最後にその外周を植えていました。

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今回田植えをしている田んぼは、山際にあるためこのように特殊な形をしています。

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ということで、今回の田植えは1時間ほどで終了。

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▼田植え機で家に戻る清之さん。

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▼今週末の土日に田植えをする田んぼも結構ありそうとのことで、水を張っただけの状態の田んぼも。左側がこれから田植えをする田んぼ。右側が既に田植えが終わっている田んぼ。

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▼今回の田植えに密着した動画をYouTubeにアップしましたのでどうぞご覧ください。遠田清之さんの田植え作業のテクニックにも注目。今回の田んぼは、基盤整備で小さい田を集めて大きい田にしたものだとのことで、そのあたりについてもお話を伺っております。


【庄内の風景。】酒田市 大沢地区在住・遠田清之さんの田植えに密着。平野部とちょっと違う、中山間地域の田んぼ。

僕の実家は農家ではないので、田植えをここまで間近に見たのは初めてでした。また、平野部とはまた違う中山間地域での田植え、非常に興味深く見させていただきました。遠田さん、もっけでした!ありがとうございました!

このような庄内地方の美しい風景をYouTubeで配信する【庄内の風景。】もシリーズ化していきたいと思いますので、今後ともよろしくお願いいたします。

嫁と離婚して、酒田にUターン移住して一人暮らしを始めましたため、自炊をしており、昼飯はお弁当を作っております。米を炊いて、おかずを何品か詰めるだけですが、まあ何とかなるものですの〜。

酒田市 八幡地域の一條地区にある「寺田」という集落生まれの、祖母の妹・渡辺よし子さんからもらったモンテディオ山形のお弁当を使用。

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▼実家からもらったきゅうり漬けと、大家さんの後藤正一さんが山で採ってきた、いただきもののミズを実家で浅漬けにしたもの。そして、目玉焼きと丸い冷奴。実家から色々いただくものも助かってます。

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祖母・重子と、祖母の妹・よし子さんが生まれたのは、一條地区・寺田の「まごじょろ」という家。今は別の方が住んでいるのですが、今日、大沢コミュニティセンターにいらしていた大沢地区在住の方が寺田生まれとのことで、「まごじょろ」のことをご存知でした。そういうつながりも、嬉しいものですの。

せば、まず。

【協力隊日記】酒田市 大沢地区の「大沢清流太鼓」練習を見学。指導者・荒生慎次さんへのインタビュー動画も。

どうも、もっけです。山形県酒田市の地域おこし協力隊、阿部彩人(@ayateck)です。

昨夜は、大沢コミュニティセンター(旧・大沢小学校)の体育館で毎週行われている、大沢地区の小学生がメンバーとなっている「大沢清流太鼓」の練習を見学しました。

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大沢清流太鼓」は、旧・大沢小学校の先生が、樽を太鼓の代わりにして子どもたちに演奏を指導したのが始まり。その後、平成5年(1993年)に地区のみなさんによる寄付金などで太鼓をそろえて本格的な活動を開始。

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平成21年(2009年)3月で大沢小学校は閉校になりましたが、「大沢太鼓保存会」代表である荒生慎次さんが、毎週、大沢地区の小学生たちに太鼓の指導を行って、「大沢清流太鼓」を継続していく活動をしています。

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▼旧・大沢小学校の校歌。

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▼旧・大沢小学校の『教育目標』。

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▼指導する荒生慎次さん。荒生さんは、酒田の北前太鼓で太鼓を学んだとのこと。

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▼今回は2人のお子さんが休みでしたが、全部で12人が練習に参加。

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▼練習の様子の動画。小学生の皆さんの叩く太鼓、全員の気持ちが合わさったパワーが凄くて、心にずしんと響いてきました。

ということで、「大沢太鼓保存会」代表で「大沢清流太鼓」指導者である荒生慎次さんにお話をお伺いしましたのでその動画をご覧ください。


【庄内のひとびと。】「大沢清流太鼓」指導者:荒生慎次さん(酒田市 八幡地域・大沢地区在住)

このように、庄内在住の方々にインタビューしていくYouTube動画を、【庄内のひとびと。】というシリーズにして配信していこうと思っています。

大沢清流太鼓」は、8月以降、毎月発表の場があるとのことで、そちらに向けても楽しみですの。私の方でも、イベント情報など今後お知らせさせていただきます。

以前に、山形のふるさとアーカイブスに「大沢太鼓保存会」が取り上げられた時の動画もありますので、こちらも合わせてどうぞご覧ください。


大沢太鼓保存会 大沢清流太鼓(酒田市)

せば、まず。

【協力隊日記】酒田市 八幡地域「月刊きょうりょくたい」印刷、防災資機材庫点検、酒田市&庄内町・協力隊合同イベントのプロモ動画撮影など。

どうも、もっけです。山形県酒田市の地域おこし協力隊、阿部彩人(@ayateck)です。

昨日は酒田市・八幡総合支所にて、日向地区の地域おこし協力隊・庄司和樹くんと一緒に、月1回発行している八幡の協力隊活動の広報紙「月刊きょうりょくたい」を印刷。

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この広報紙は、八幡地域の全戸1,833世帯に配布されます。

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▼こちらが今月号の内容。私・阿部彩人のご紹介も載せていただきました。来月以降、庄司和樹くんと一緒に協力しながら紙面を作っていきたいと思います!

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そして本日は、朝から大沢コミュニティセンターにて、酒田市役所の担当者による「防災資機材庫点検」。まずは、旧・大沢小のグラウンドで、衛星電話のチェック。

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▼左から、酒田市役所の池田さんと後藤さん、大沢コミュニティ振興会の副会長・後藤正一さん(我が家の大家さん)と会長・池田昭則さん。

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衛星電話は、問題なく通話できました。

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大沢コミュニティセンター内の防災資機材が置いてある部屋にて、各アイテムが問題なく備えられているかどうかを、酒田市役所の方がリストでチェック。

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▼石油ストーブもあります。

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問題なく、すべての資機材が備えられていることをご確認いただきました。

午後からは、酒田市庄内町・地域おこし協力隊合同イベント「~IROTORI×ドッジボール~」のプロモーション動画撮影へ。

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様々な地域の人たちが「色」でつながることができるようにと企画されたイベント。

第3回となる今回は、6月9日(土)AM10時より、酒田市平田地域・田沢の「ピクニックランド」にて開催。僕は「DO IT 2018」に行くため残念ながら当日は参加できないのですが、プロモ動画撮影に協力させていただきました。

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色のついたドッジボールで、子供の頃のような気分で盛り上がれる企画です。

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▼赤色にまみれる、庄司和樹くん。

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▼イベントを主催している、酒田市庄内町の地域おこし協力隊メンバー。左から、酒田市平田地域の能美 智行くん、八幡地域の庄司和樹くん、庄内町の栗原 麗人くん、竹嶋 碧さん。

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かなりいい映像が撮れましたので、プロモーション動画の完成をお楽しみにお待ちください!

▼イベント告知のコメント動画を公開いたしましたので御覧ください。

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Facebookのイベントページはこちら。
https://www.facebook.com/events/264932920715709/

www.facebook.com

ぜひ、地域を越えてご参加ください!6/9(土)10時開始で13時には終了予定ですので、終わってから「DO IT 2018」に行くことも可能です笑。

夜は、大沢コミュニティセンターの旧・大沢小学校の体育館で毎週行われている、大沢地区の小学生による大沢清流太鼓の練習を見学。

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力みなぎる演奏が、ぐっと心に響いてきました。この太鼓を指導している大沢地区在住・荒生慎次さんへのインタビュー動画や、お子さん達による演奏の動画は後日アップいたしますのでお楽しみに。

せば、まず(では、また)。